歎異 抄 を 読む。 『歎異抄』の読み方について僭越ながら解説してみた

歎異抄(タンニショウ)とは

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以下、その言葉のいくつかを紹介いたしましょう。 実体はないんだということを聞きながら、ここでは善人はこういう人、悪人はこういう人というのは、どうも理解できない」という学生も質問もありましてね。 (倉田百三著『一枚起請文・歎異鈔 法然と親鸞の信仰』) 日本三大哲学者の一人、三木清もこう言います。 山崎: そうですね。 文章も日本文として実に名文だ。 「悪人さえ助かるのだから、善人はなおさら助かる」 なら分かります。 その「謙敬 けんぎよう 」ですよね。

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『歎異抄』の読み方について僭越ながら解説してみた

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花瓶の水が凍るほど冷え込みます」 「最後の『ピン』とは?」 「清貧の 『ヒン』です。 「もう何十年も前に、「無人島に一冊だけ本を持っていくなら『歎異抄』だ」という司馬遼太郎の言にふれて、人生、ある時期に達したら『歎異抄』を読みたいと、ずっと思っていました。 私は参りまして、そうですね、熱心な若いお母さん、三十人くらいおりましたね。 あるのは、歴史家たちのさまざまな推論だけです。 つまりそのことによって迷いを超えて仏になる人ですから。 だますには違いないが、無いものを有るというのでも、北のものを南というのでもない。

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歎異抄

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まず気味の悪いことに、実は『 歎異抄』には著者が書かれていません。 懐かしいこの地の花は、昔のままの香りで美しく咲いているではありませんか。 文章も日本文として実に名文だ。 また、ある雑誌には「男性自身」という題目の連載ものがでております。 「あのように、広く、静かな心になりたい」と願い、心を奮起させることが多かったのではないでしょうか。

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なぜ、無人島に一冊もってゆくなら『歎異抄』なのか

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『仏説観無量寿経』は、『仏説無量寿経』の教説からの展開として、末代悪世の悪人凡夫の救いを説き明かすものである。 わたしは、歎異抄の序のこころは「忘れられぬこと」だと思いますが、それはまた「忘れられぬ人」であってもいいんだと思います。 『歎異抄』は、鎌倉時代に書かれた古典です。 その、人びとの心をとらえたものが、生きつづけて七百年の歴史をつくったのでしょう。 今日は久々に読書会で東洋思想を扱いました。 つまり、これは先生の信仰と思想のバックボーンになっているものです。 次に、第四条から第九条まで、「自力のこころをひるがえして他力をたのむ」すがたを例をあげて明らかにし、最後に無義為義の法然上人の口伝をもって結ぶ。

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『歎異抄』が好き!日本人の心をガッチリつかむその理由は?

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・いそぎ仏になる 「念仏していそぎ仏になりて」「自力をすてていそぎさとりをひらきなば」とある「急ぎ」の意味は何か。 ちょうど、そのように、わたしたち人間は、いろいろな物を知り、いろいろな問題を処理していくにもかかわらず、わたし自身を知り、わたし自身を処理することができないのです。 私は、書物から学ぶことも大事だけれども、親鸞聖人が法然上人に出会ったときに、言葉を超えた交流というものがあった。 いやあ地獄ですよ」 と正直に語っています。 自分がまともだと思っていることが、本当にまともなんだろうか。 時間より早く会場へ行って、「清沢です」というたところが、受けつけに出た若い人から、あまり 風釆 ふうさい があがらんので、これは清沢先生のおともの人だろうと間違われて、次の間かどこか控室に通されて長い間待たされるというようなことがあった。

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『歎異抄』を読む 第一条 その一(瓜生崇師)

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親父が居なくなって既に十年、読み継ぐ気にならないことから、地元町の図書館に引き取って貰えないかと話を進めていたのだが、コロナ騒ぎでその話も中断して三ヶ月が過ぎた。 毎回、メールが来るのが楽しみで、玩味しながら読んでいます。 まったく自分かってに理解して、浄土真宗の根本精神をとりちがえてはならない。 歎異抄に、なにか書いてあるかを知ることは、非常に大事である。 自己から出発し、自己の力量の能力を全開して仏になるというところですから。 その先生が僕が学校を卒業して帰るときに、「謙敬に聞きてこれを奉行せよ」こうおっしゃった。 これいくつかありますけども、この前に阿闍世王が『涅槃経』の中に、「我が身心を療治する良い医者がいるであろうか。

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五木寛之『私訳・歎異抄』(PHP文庫)

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私は死亡率が高い戦車隊に取られましたから、どうせ死ぬだろうと思っていました(*1)」 「無人島に1冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ(*2)」 *1 『司馬遼太郎全講演第1巻』 *2 『週刊朝日』平成8年11月1日号 赤紙一枚で戦地へ送られ、死と向き合わざるをえなくなった時、親鸞聖人のお言葉に「真実のにおい」を感じ、心の支えにした人々がどれほどあったことでしょう。 しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。 山崎: そうですね。 ) ・「仏告阿難 汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」 (釈迦牟尼仏は阿難に仰せられた。 zip 81. 仏縁浅き人には、誰彼となく拝読させてはならぬものである 「右この聖教は、当流大事の聖教たるなり。 山崎: そうですね。 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)に匂(にお)いける (意訳) 人の心は変わりやすいですからね。

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